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ハワイには欧米人の渡来まで文字がなかったため、はっきりした年代はわかりませんが、6世紀頃に入植したポリネシア人が現在のハワイ住民の始まりだといわれています。その後、タヒチから多くの人が移住し、独自の社会制度を形成しました。「カプ」と呼ばれる階級制があり、社会・政治・宗教的序列による厳格な社会を築いていました。その頃の衣服は、桑の木の内側の樹脂をたたいて作った「カパ」という布を使い、男性は「マロ」という下帯、女性は「パウ」というスカートを身に着けていました。家は木の骨組みをピリの葉で覆った簡単なものでした。男性は食物をとり、首長のために戦い、女性は貝を採取し、衣服を作り、子供の世話をして生活していました。タヒチの人々は高度な航海技術をもち、ハワイとタヒチを往来していましたが、ハワイは気候も良く、生活が安定していたので、その後外界との交流は途絶え、キャプテン・クックが来航するまで孤島となりました。

ポリネシア人以外でハワイを最初に訪れたのは、キャプテン・クックです。1778年、ハワイに来航し「サンドイッチ諸島」と名づけました。来航時、ハワイ島では風、雲、海、豊作、農業の神「ロノ」の祭の最中で、ロノの生まれ変わりは白人との伝説によって、クックはロノ神と間違われ大歓迎を受けます。しかしその後、クックの船から鉄器と上陸用の小舟が盗まれるという事件が発生し、取り返そうとして上陸した乗組員を助けるため、住民との小競り合いになり、クックは殺害されてしまいました。
1795年、キャプテン・クックがもたらした近代武器を用いて、カメハメハ大王がハワイ王国を建国しました。ハワイ島の王だったカメハメハは軍隊を組織し、マウイ島、ラナイ島、モロカイ島、そしてオアフ島の順に次々と領土を広げました。
1819年、カメハメハ大王の没後、カメハメハ1世の子リホリホがカメハメハ2世として即位します。伝統的身分制度「カプ」を廃止したために、生活慣習が崩壊し、次々に来航したアメリカ宣教師によってハワイはキリスト教国となりました。その後、カメハメハ3世の時代になり、ハワイ王国憲法が発布され、1845年、王国の首都はラハイナ(マウイ島)からホノルル(オアフ島)に移ります。アレキサンダーと呼ばれたカメハメハ4世の時代になると、外国の侵略からハワイを守り、国民の健康増進に努めました。また、外国からの病気のために減少した人口を補うため中国からの移民を奨励しました。そして、カメハメハ5世の死によって、約100年にわたるカメハメハ王朝は終焉を迎えます。
1873年、ルナリロが初の国民選挙によって王に選ばれました。1874年、「陽気な君主」と呼ばれたカラカウア王の時代になると、白人勢力が台頭します。また、中国人と日本人の労働者の補充も続けました。1875年、アメリカ・ハワイ互恵条約によってアメリカとの間の関税が撤廃され、砂糖きびをはじめとするプランテーション産業がいっそう興隆しました。カラカウア王はハワイ音楽やフラの復興で有名です。
1892年、カラカウア王の妹リリウオカラニ女王が即位し、新憲法を制定します。しかし翌年、クーデターで王位を失い、反革命を扇動したとして告発され、イオラニ宮殿に幽閉されます。そしてハワイ王朝は崩壊し、ハワイ共和国が設立します。
1898年、アメリカ議会でハワイがアメリカの領土となり、1959年、ハワイは正式にアメリカ50番目の州となりました。
 
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